2011年4月3日日曜日

船に乗れ!(藤谷治) このエントリーをブックマークに追加 このエントリーを含むはてなブックマーク

ライトノベル風の青春小説かと思って臨んだらとんでもないことになってしまいました。かなり苦い部分もあるので好みは分かれるかもしれませんが、少なくとも私にとっては魂を揺さぶられるような傑作だったと思います。







■ 主人公について
プロのチェロ奏者を目指す「津島サトル」の高校生活が、大人になった筆者の視点から過去語りとして綴られます。1巻のあとがきによると、筆者の経験に基づく私小説的な側面もかなりあるようで、色々なところで若かりし日のトラウマを刺激してくれます。

祖父母を初めとした音楽一族のサラブレッド。愛読書はニーチェとドストエフスキーといういけ好かない奴ですが、超難関の芸術大付属高校を4次試験まで通りながら、あまり失敗する人のいない学科で落ちるという典型的な専門馬鹿だったりもします。

語り口におけるサトルの自嘲癖が強いため、これはとんだ鬱小説なのかと読み始めはげんなりしかけましたが、高校に入学すると同時に状況は一変します。本人があまりに自分を卑下するため分かりにくかったのですが、彼のチェロの腕前自体はなかなかのものです。

ああ、これは一種のツンデレなんだな。ほんとは彼には輝かしい未来が待っているはずだ。1巻を読み終えた時点でそのような確信を強めてしまったために、2巻以降の展開には一層強いダメージを負ってしまったように思います。彼の自嘲の意味が徐々に明らかになってくるのです。

■ 周りの人たち
「南枝里子(みなみえりこ)」は、こういっては申し訳ないですけれど、いかにも好感度の低そうなヒロインですね。ちょっとヤンデレ入ってる感じでしょうか。彼女の負けず嫌いや不安定さ、私は好きでした。それだけにあの展開はとても応えました。

南のことにしろ、金窪先生のことにしろ、小説のネタとしては割と良く見られるものだと思うのです。持ち上げて落とすというのもまあ基本ですよね。ただ、その持ち上げ方があまりにも健やかで心地よかったため、ダメージがとても大きくなってしまいます。

二つの重要なエピソードとその結末。こういう比べ方はどちらのファンにも怒られてしまいそうですが、私にとっては「銀河英雄伝説」以来の衝撃でした。スペースファンタジーと学園青春小説。全然ベクトルが違いますが、苦味の質がちょっと似ていたかなと。

他に伊藤や鮎川ら癒し系キャラはもちろん良かったですが、何気に伴奏などでちょこちょこでてくるだけのピアニストたちが、なんだかいい感じのお嬢さんぞろいだったように思います。

■ 音楽
私はクラシック音楽についてはド素人ですが、それだけに本書で語られる音楽の世界の厳しさが印象的でした。なにしろほぼ筆者の経験してきたとおりのことだそうなので、説得力もあります。

将棋の米長邦雄永世棋聖は、「兄達は馬鹿だから東大に行った」などと嘯いたそうですが、実際芸術の世界における頂点というのはそういうものなのかなと思います。才能溢れる天才たちがどんどん脱落していき、努力は当然必要だけれど、それだけでは到達できない非情な領域。

本書で登場する楽曲のいくつかをYoutubeで探してきました。



バッハ「無伴奏チェロ組曲第一番前奏曲」。サトルが初めて南の前で弾いてみせた曲です。素人の私にも聞き覚えのある旋律で、素直に楽しめます。演奏しているのは「ミッシャ・マイスキー」という世界的なチェロ奏者だそうです。なんかラモスさんに似てる。



メンデルスゾーン「ピアノ三重奏曲第1番」。サトル、南、北島先生の3人により演奏された曲。本シリーズ中で一番幸せな瞬間ですね。本文中にも出てきたカザルスの演奏もYoutubuにあるみたいです(Casals, Cortot, Thibaud Trio Mendelssohn d mvt 1)。



ヴィヴァルディ「チェロ・ソナタ第5番ホ短調」。ドイツへの短期留学中に駄目だしされた曲です。難易度としては初級とのことですが、そういう曲ほど巧拙が出やすいということでしょうか。



モーツァルト「交響曲第41番(ジュピター)第4楽章」。オーケストラからも一曲ご紹介。三年次の楽曲で、上の映像は最後の第4楽章のみですが、全体を通すと40分以上になるそうな。

他にフルート曲も探してみたかったのですが、疲れてきたのでまたの機会に。私みたいな素人としては、クラシック音楽に興味はあっても、まず何を聴けばよいのかというというところから難しいので、このような小説がきっかけになってくれるのはとてもありがたいです。

■ タイトルについて、そして感想
このタイトルはどういう意味なのかとずっと思っていたら、最後の最後に判明します。全般的に哲学的な話題も多いので興味深いですが、消化しきるのはなかなか大変です。金窪先生の教えはわかりやすいので、また読み返してみたいと思っています。

文庫版ではボーナストラックとして「再会」という短編が載っています。フルート奏者にして無二の親友「伊藤慧(いとうけい)」が登場。おまけ的な位置づけの作品ですが、本編の一部といって良いくらい、ちょっぴりの苦さも伴いながら、なんとなくいい感じの後味を残してくれます。

プロローグから始まって2巻の驚愕展開からなんとも言えない余韻のラストを迎えるまで、すべてが完璧に私を虜にしてくれました。高校生活を扱った青春小説ですので、もちろん若い人にも楽しんでもらえると思いますが、むしろトラウマの刺激という点では大人のほうがきついんじゃないでしょうか。

正直とても軽い内容とはいえませんし、結末も手放しの大団円とはいきません。それでも、なにがしかの心地よいものが読後には残されていたように思います。少なくとも私にとっては、掛け値なしの傑作です。

評価:★★★★★

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