2011年2月22日火曜日

ローマ人の物語〈36〉最後の努力〈中〉(塩野七生) このエントリーをブックマークに追加 このエントリーを含むはてなブックマーク

コンスタンティヌス帝の登場。混乱を実力で収めた立派な皇帝だとは思いますが、先からの混乱でローマらしさがすっかり失われてしまい、読んでてあまり楽しくはないですね。我々が帝政と聞いてイメージする体制にどんどん近くなっています。



前回レビューでは触れませんでしたが、先のディオクレティアヌス帝により四頭政というものが始められています。国境のあちこちが破られたことに対応するため、帝国を東西二分した上で、それぞれに正帝と副帝を設けるというもの。状況的にやむをえなかったとはいえ、結局ちゃんと機能したのは一代だけということになりました。

四頭といっても、一応東の政帝が最上位とされていました。その地位に名実ともに明らかな第一人者であるディオクレティアヌスが就いていたからこそ、うまく回っていたのでしょう。ディオクレティアヌスの引退とともにあっという間に崩壊してしまいました。その混乱を収めたのがコンスタンティヌス帝です。

コンスタンティヌスは西の正帝の長男とはいえ、先妻の息子ということもあったため、後継者としてはそれほど有力な位置にいたわけでもなかったようです。

ただ、もともとの実力と声望に加え、父親の死に際にちょうど傍らで将軍職を務めていたタイミングがよかったとのこと。軍事政権になってからの後継者選定は、現場主導というよりその場の雰囲気といったほうが近いですから。

ディオクレティアヌスが約20年、そしてコンスタンティヌスが約30年の在位となります。その前までの皇帝がすぐに入れ替わる混乱期と比べて、国状はそれなりの安定を見せたようです。ただし、軍事費増大、職業固定、象徴としてのローマ軽視。重苦しい雰囲気はますます強まっていきます。

そこにキリスト教発展のきっかけがあったのでしょう。コンスタンティヌスといえばキリスト教の公認で有名ですが、このような世情が背景にあったことをわかっていないと、なんとも唐突に感じられますね。受験時代のもやもやが今頃晴れた感じです(^^;

評価:★★☆☆☆

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