2010年5月5日水曜日

「わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡1、2、3:新潮社」(塩野七生) このエントリーをブックマークに追加 このエントリーを含むはてなブックマーク

本書はマキアヴェッリの思想を紹介するものではありません。マキアヴェツリを介してフィレンツェ滅亡、ひいてはルネンサンス終焉までの過程が描かれています。最近出版された新潮社版が書店に並んでいたので手にとって見ました。



1巻ではマキアヴエッリはほとんど出てきません。主に没落が始まる前のフィレンツェ栄光の時代が描かれています。主役はロレンツォ・デ・メディチ、運と財産と名誉と実力の全てに恵まれた男です。しかし彼の死とともにフィレンツェの衰退は始まります。その後、修道士サヴォナローラの扇動が功を奏すかに見えるも長続きせず。
民衆の支持を得るのはさほど難しいことではないが、いったん得た支持を保持し続けるのは難しい(p209)
某政権のことを言っているかのようですね。時と場所を越えて歴史は繰り返すようです。



2巻ではいよいよマキアヴェッリが活躍。どん底のフィレンツェを支える書記官時代からメディチ家の復興に伴う公職追放までが描かれています。

当時のイタリアはすごいですね。我らが隣国の中国や韓国がまだ穏やかに見える、まさに生き馬の目を抜く情勢です。何よりも難しいのは賢明であることが時に過ちを招く点。フィレンツェと比べてはるかに立派な政体を持っていたヴェネチアの唯一とも言える失政に対して、マキアヴェッリの評した
現実主義者が誤りを犯すのは、相手も自分と同じで、だから馬鹿なことはしないと思い込んだときである(P214)
との言葉。理屈の通じない相手に対するときの苦労は、私たちの日常にも通ずることではないでしょうか。

それにしても意外なのはマキアヴェッリの性質。こんなエピソードが紹介されています。買った女と暗闇でいたして(失礼)終わった後改めて容姿を確認するに
ああ、なんたることか、その女の醜さときたら。(中略・・・ここの描写がまた凄いんだけど)唇ときては、ロレンツォ・デ・メディチの口そのものだ(P224-225)
とは友人にあてた手紙でのお言葉(笑)。のちに有名になる喜劇作家としての面目も躍如といったところでしょうか。陽気、好色、楽観的。「マキャベリズム」の冷酷な印象とはまったく違った、なかなか人間的で魅力的な人物だったみたいです。文書だと厳しくなる人、確かにいますね。頭の良い人に多い気がします。



3巻では、公職を終われ失意の中で書き上げた「君主論」を初めとした一連の著作、マキアヴェッリの友人や若き弟子たちとの交流などが紹介されています。そしてスペイン、フランスなどの大国により祖国が押しつぶされる中、マキアヴェッリは失意の果てにとうとう病で倒れてしまいます。

大国の論理が幅を利かせる状況を誰よりも冷静な目で見通していたマキアヴェッリ。歴史にifは禁物ですが、もし彼が小国の生まれでなければ、身分がもう少し高ければ、あるいはチェーザレ・ボルジアのような上司に恵まれていれば、と想像を巡らせて楽しむのは、後世の人間の特権として許していただきたいところです。

評価:★★★☆☆

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